リハビリセンターきずな「創業秘話」

皆様、コロナの影響で大変ご苦労されているかと思います。
弊社も従業員と総力を挙げてコロナと戦っているところです。
経営者として、人生最大の厄災にどう立ち向かって行くべきか途方に暮れていました。

深く悩み続けていくなかで、創立した原点の想いに振り返ることで、勇気を取り戻すことが出来ました。
そこで、「リハビリセンター きずな」の創業の想いについて皆様にお話ししたいと思います。

長文となりますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。

私はリハビリセンターきずなの創業者である梅尾潤一と申します。
まず、創業に至るストーリーをお話しさせて頂きます。

14年前、病院勤務時代に遡ります。

当時、私は新米の理学療法士でした。
知識も技術も未熟な私でしたが、身の丈に合わないほどの大きな夢だけは持ち合わせておりました。
それは『リハビリのチカラで日本中の多くのヒトを救いたい』という漠然とした夢でした。

そんな夢に向かって日々努力している中、私の大好きだった祖父が肺炎を患い入院となりました。

祖父は頑固な独り者でしたが、私には心を開いてくれていました。
退院後、体が弱りきってしまい、デイケアにお世話になりました。
しかし、利用を嫌がり、しょっちゅう逃げ出し、施設の方には大変ご迷惑を掛けました。

私は、そんな祖父に対し、祖父の気持ちを聞くことなく通わせ続けました。
半年が経ったころに、提供されたうどんを喉に詰まらせ窒息。
一命を取り留めましたが重度の肺炎を患い、回復することなく亡くなりました。

祖父の亡骸は、痩せ細り元気だった頃の面影はありませんでした。

そんな祖父の姿を見て、理学療法士として何も出来なかった自分を情けないと思いました。
お絵描きや風船バレーを嫌がる祖父に無理にデイケアへ通わせたことを心から後悔しました。

この文章を書き起こしている今でも、申し訳なかったと胸が苦しくなります。

これまで私は理学療法士として、多くの患者さんにリハビリを提供し、退院を支援してきました。
その患者さんについては、退院されるまでの状況しか知りませんでした。

しかし、祖父の介護経験から「退院後の生活」がどれだけ大変かということを深く学びました。
「リハビリで多くのヒトを助けるんだ!」と夢ばかり膨らませていましたが、現実は何も見えていなかったのです。
本当に無力でした。

落ち込み悩んだ末に、次の二つのことを実現しようと考え直しました。

一つ目は、『 退院された方へ、安心・安全な地域での生活を取り戻してもらうこと』
二つ目は、『 祖父のような独り者の高齢者に、人と関わる絆を結んで頂くこと』

そして、新たな夢を叶えるため、仲間と一緒に会社を興しました。

祖父が亡くなって3年。
夢を叶える第一歩、「通所介護 リハビリセンターきずな」を2012年開所致しました。
開所から現在に至るまで私たちの想いは変わりません。(むしろ、強くなっています)

地域の多くの高齢者の暮らしを守り、絆を育みたいと思っています。
そのために必要なリハビリテーションを開発し、提供し続けていきます。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

初心に帰ることで、再び前進する勇気が湧いてきたので、この想いを皆様に共有したいと思い、こうやって書き綴らせて頂きました。

さいごになりますが、「一所懸命に誠実な “向上心を持ったきずなの従業員たち”」 と「戦後の日本を守ってきた “本来強いココロとカラダをお持ちの高齢者の皆様”」 の力が合わされば、きっと地域を変える大きなチカラとなることを信じております。

これからも皆様の生活を守るためのリハビリテーションの開発と改良を進めていくことをココに誓います。
 今後とも「リハビリセンター きずな」を何卒宜しくお願い申し上げます。